日本の歴史上最悪の詐欺事件として世間と賑わせた「豊田商事事件」
被害総額2000億円、被害者は3万人にも及ぶ戦後最大の詐欺事件です。
お年寄りや母子家庭をターゲットに、ありもしない純金を購入させ、客には保証書とわずかながらの利息を払うことで安心させ、次々とお金を巻き上げていったこの事件。
さらに、豊田商事の会長がマスコミの前で被害者の知り合いを名乗る男性二人から命を奪われるという前代未聞の衝撃の事件にまで発展しました。
しかし、事件について調べてみると、詐欺だけはなく不可解な謎だらけであることも判明。
今回は、豊田商事事件とは一体どんな事件だったのか振り返るとともに、会長を手にかけた犯人の現在、さらには事件の不可解な謎についてもまとめてみました。
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豊田商事事件とは
1981年大阪に設立された「豊田商事」
トヨタ自動車と同じ「豊田」にすることで、グループ企業と思わせる策略があった。(もちろんトヨタ自動車とは一切関係ありません)
設立当初から、詐欺まがいの商法と噂されながらも様々な事業に手を出し、順調に利益を出し急成長している企業のように見せかけていた。
バブルがはじけ、ドルショックなどから、純金に対する関心が高まっていた社会背景を悪用し、人情に訴える営業方法で、高齢者や母子家庭、身体障害者などをターゲットにありもしない純金の販売を始める。
純金を客に購入させ、モノは豊田商事で預かると代わりに証明書を渡す。また購入金額の10%~15%を支払い、客を安心させて信用させるという手口だった。
こうして次々と客をだましつづけ、豊田商事の店舗は全国に60店舗、従業員数7500人に増えていった。
豊田商事に勤める営業マンたちは売り上げに応じて高額な歩合給が支給され、トップ営業マンクラスだと月に6000万~2000万を越えるものもいた。
豊田商事の会長を務めていた、永田一男氏は高級車を何台も所持し、自家用ジェット機も購入するほど裕福な生活をしており、金の亡者であったと言われている。
しかし、そんな詐欺行為も長く続くことはなく1985年に社会問題化し捜査が始められる。
被害者数3万人、被害総額2000億円という日本の歴史上でも最大の詐欺事件となった。
そして1985年6月18日会長の永野一男が逮捕されると聞きつけ報道陣が永野の自宅マンションに集まっていた。
すると、被害者の元上司を名乗る男/自営業・飯田篤郎(当時56歳)、建築作業員・矢野正計(当時30歳)
が永野一男の自宅マンション前に現れ、窓の柵をぶちこわし部屋に乱入。
そして、マスコミがいる前で永野一男の命を奪った。
この事件が起こった時、テレビで生中継されており、この様子がお茶の間に流れることとなってしまった。NHKのアナウンサーは「お子さんには見せないでください」と慌てて注意を促す事態となった。
事件後、部屋から出てきた飯田と矢野は、俺たちが犯人だ警察を呼べと言い駆けつけた警察によって連行されていった。
この事件によりマスコミはなぜ現場にいながら犯行をとめなかったのかと世間から猛烈なバッシングを受けた。
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豊田商事事件犯人の素性と犯行動機
犯行に及んだ自営業・飯田篤郎(当時56歳)、建築作業員・矢野正計(当時30歳)。
主犯格である飯田篤郎は大阪豊中市にて鉄工所を営んでいた。
工場では、身体に障害がある人や高齢者などを積極的に雇用していたものの1984年に5億もの借金を抱え倒産。
原因は下請けにだまされたことや不景気などが重なったものであり、豊田商事の直接の被害者ではなかった。
しかし、高齢者を食いものにする豊田商事が許せなかった、知り合いに頼まれたという動機で犯行に及んだと述べている。
そして、建築作業員の矢野正計は飯田に恩があり、事件に加担したと供述していたという。
事件後、大阪地検にて主犯格の飯田には懲役10年、そして矢野には8年という実刑判決が下された。
飯田は命を奪うつもりではなく、永野を裁判所に出頭させる目的だったが、現場でマスコミにあおられてやってしまったと述べている。
裁判所はこれを信用できるものとし判決を下したのだった。
豊田商事事件犯人の現在は釈放され地方で暮らしている?
実刑判決を受けた飯田と矢野。
飯田は懲役10年、そして矢野は8年の刑期を終え2017年現在では既に出所しています。
飯田は現在86歳となっており、地方にて妻と子供とひっそりと暮らしているそうです。
さらに、当時31歳だった矢野は現在60歳となり、釈放後はしばらく大阪で暮らしていたものの後に広島へと移住。
結婚し5人の子供に恵まれひっそりと暮らしているとのこと。
一部週刊誌によると、矢野は「自分はやっていない」というのが口癖であり、事件後二人は仲たがいしたとも言われています。
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豊田商事事件の不可解な点とささやかれる黒幕説
世間に衝撃を与えたこの事件。
実は不可解な謎だらけであるとも言われています。
①2000億円の行方が不明
被害総額2000億円にも上ったこの事件。
事件後、被害者に戻ったのは約1割、つまり200万円ほどしか返還されなかったと言われています。
そして、残りの約1800億円はどこへ消えていったのかが闇に消えたままとなったそうです。
②永野会長の生活
当時、永野会長は高級外車を何台も買い漁り自家用ジェット機まで購入したと言われていますが、その物自体がどこにも存在しなかった。
さらに、永野の最後の所持金はわずか711円であり、住んでいたマンションもオートロックもなく、庶民的な普通のマンションであり、社員の方がいいところに住んでいた。
③犯人・飯田と矢野の動機がいまいち納得できるものではない
永野の命を奪った飯田と矢野。
主犯格の飯田は、豊田商事の被害者に頼まれてやったというが、知り合いに頼まれたくらいでそこまでするだろうか…?と疑惑が浮上。
誰かに雇われ、本当の黒幕は別にいるのではないかと囁かれている。
④飯田・矢野の懲役が短すぎる
飯田は懲役10年、矢野は懲役8年の実刑判決を受ける。
しかし、人一人の命を奪っておきながらこの判決は軽いと指摘されている。
そして、犯行の動機も信用に取るに足らないものであるが、裁判所では二人の供述が認められたことも不審である。
⑤永野会長が襲われた日の不審点
当時、永野のマンション前には警察が見張りをしていた。
しかし、飯田と矢野が現れた時間には警察はおらず二人はすんなりとマンションに入ることができた。
こういった数々の不審点が結局わからずにこの事件は闇に葬られることとなった。
永野が巻き上げていった莫大な金額は、闇社会へと流れていったのではないかと一部ジャーナリストの間では言われているが真相はわからぬままとなっている。
知られざる弁護士たちの闘い
事件の概要ばかりに目がいってしまいましたが、実は被害者の救済のために資金回収に奔走した弁護士たちもいました。
平成の鬼平と言われた弁護士・中坊公平氏は、倒産した豊田商事の破産管財人となり、店舗の家賃、敷金、さらには豊田商事社員たちが納めた税金まで回収するなど、前代未聞の回収作戦を実行し100億円の回収を行ったといわれています。
また、中坊弁護士だけでなく、無報酬でもいい、雑用でもいいから手伝わせてくれと1000人以上の弁護士たちが手を上げたと、被害者を救うべく闘った弁護士たちの姿もありました。
おわりに
前代未聞の巨大詐欺事件。
決して昔の話しではなく、いつまたこういった事件が起こるかもわかりません。
我々一般消費者も、だまだれないようしっかりと見極めていく必要があると感じさせられる事件でもありました。
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