2017年4月に公開された映画「LION/ライオン~25年目のただいま~」
インドのスラム街で生まれ育った5歳の少年サルーは、迷子になり、その後オーストラリア人の夫妻に養子として引き取られます。
大人になったサルーは自分のルーツを知りたく、グーグルアースを使って、生まれ育ったインドの故郷の街を探し…
という実話を元に作られた映画です。
今回は、映画「LION/ライオン~25年目のただいま~」の実話となったインドの少年サルーの数奇な物語について、さらにはその後(現在)のサルーはどうなったのかあわせて紹介します!
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インド サルーが母カムラとグーグルアースで映画のような奇跡の再会!
1981年、インドの貧しい村でサルーは生まれた。
父親はサルーが3歳の時に蒸発しておらず、母カムラ、兄弟5人で暮らしていた。
家計は貧しく5歳になったサルーは、兄と最寄り駅から1時間ほどの「ベランプール」駅で物乞いをして生活費を稼いでいた。
そんなある日、サルーは疲れ果て駅のベンチで寝てしまう。
仕方なく兄は一人で仕事に向かい、サルーは一人に。
起きたサルーは兄がいないことに焦り、置き去りにされてしまうと慌てて駅に止まっていた電車に乗り込んでしまった。
この電車は回送列車で、1600キロ離れたインドの主要都市コルカタまで運ばれてしまう。
サルーが住む地域ではヒンディー語だったが、到着したコルカタはベンガル語であり言語が違う。
元々学校に行っていなかったサルーはヒンディー語もままならなかったが、ベンガル語はひとことも話せず、自分の町の駅もわからないため帰るすべがなかった。
全く知らない街に到着し行くあてもないサルーはしばらく物乞いをして路上で生活をしていた。
奴隷として売られそうになりながらもなんとか逃れ、孤児院に保護され、孤児院の助けもあり、オーストラリアに住むブライアリー夫妻の養子としてオーストラリアに渡り新たな人生を始めた。
サルーを引き取ったブライアリー夫妻はサルーを愛情深く育て、サルーはたくましく成長。
サルーの養母は、故郷インドの地図を部屋に貼ってくれ、インド料理も食べさせてくれるなど自分のルーツを忘れないようにしてくれていた。
しかし頭の片隅には故郷のことが忘れられず、ぼんやりと記憶を頼りにグーグルマップの衛星拡大地図やフェイスブックなどを駆使し、故郷への足取りを調べ続け、ついに自分の見覚えのある駅を見つけ出す。
故郷を探し当てたサルーはオーストラリアからインドへ渡り、かつて自分が住んでいた自宅を発見する。
しかしその場所に母親は住んでいなかったものの聞き込みで母は近くの別の家に住んでいることが判明。
そして、母カムラと奇跡の再会を果たすことができたのだった。
しかし、いいことばかりではなかった。
母カムラに再会できたものの、駅で一緒に働いていた兄は、サルーが行方不明になった直後に列車にひかれて亡くなってしまっていた。
サルー・ブライアリー母との再会のその後(現在)は?
家族と25年ぶりの再会を果たしたサルー。
しかし、現在もインドに帰ることはなくオーストラリアで生活しています。
オーストラリアの生活の方が長いですし、ヒンディー語が話せないことや仕事のことも考えるとオーストラリアに拠点を置いていた方がいいのでしょう。
しかし、サルーは度々家族に会いにインドを訪れ、母カムラさんに毎月仕送りをされているそうです。
カムラさんはサルーから仕送りを受け取ることを断ったそうですが、少しでも家族のつながりを持っておきたいというサルーの強い要望から月に100ドル(日本円で1万円)ほど受け取っているそうです。
サルーは、両親の会社を受け継ぎながら自身の体験をもとに講演活動を行ったり、インドで孤児となってしまった子供への養子縁組の支援など精力的に活動をされています。
サルーと映画ライオンの意味
サルーは自分の名前をずっと「サルー」だと思っていました。
しかし、実は発音を間違っていて正しくは「シェルゥ」
この「シェルゥ」とはヒンディー語で「ライオン」という意味であったことが判明し映画にライオンとつけられたようです。
おわりに
あらゆる奇跡が繋がりつづけたサルーの人生。
それは過酷な運命を乗り越え、強い決意と忍耐で家族を探し続けた奇跡の再会の物語でした。
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